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琉球新報「南風」(隔週連載) 2007年1月16日〜6月19日 |
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壺宮通り
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島唄カフェ「いーやーぐゎー」が壺宮通りに越してきて、おかげさまで、一年が経ちました。その場所の問い合わせが毎日のようにある。「壺宮通り」です。と、答えても、その通り名自体がまだ出来たてで、まだいわゆる市民権を得ていないといってよい。ひめゆり通りの大浜第二病院を真和志支所向けに…。そう、あのモスバーガーがある一キロ程の通り、と説明すると若い人には通用する。タクシーなどには旧郵便局通りだと分かってもらえる。道の片側が壺屋に属し、もう片方が寄宮となっているところからの命名だ。
壺屋という地名は古く、琉球の正史「球陽」巻之七、尚貞王十四年(一六八二)の項に「昔壺屋(ヤキガマ)は美里郡の知花、首里の宝口、那覇湧田の三箇所あり『以テ一所トナスナリ』と、牧志村の南に移した」という記述がある。それから琉球陶器の一大生産地となっていった。
寄宮は「よりみや」なのか「よせみや」なのか、いつも疑問に思っていた。私が小学校の頃、那覇に住んでいた時は「よせみや」といっていた記憶がある。最近は「よりみや」という人が多い。そこで、色々訊いてみると、「寄せ集めではなく、寄り集まった所なので『よりみや』だ」という答えを得た。「沖縄大百科事典」を紐解いてみると、「よせみや」はなく、「よりみや」の項目に「一九四六年、字与儀宮城原(よぎみやぎばる)、字国場寄増原(こくばよせましばる)、洗田原(あらいたばる)の三小字で成立。寄増原の〈寄〉と宮城原の〈宮〉をとり寄宮とした」と、ある。
どうも「よりみや」の方が正しいようだが、「よせみや」と読んでもよさそうだ。しかし、こうして見てみるとこの通りも何だか由緒ある歴史的な場所に思えてくるから不思議だ。
「壺宮通り」は明日で満二歳になります。
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2007年4月10日 琉球新報夕刊「南風」掲載より |
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