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琉球新報「南風」(隔週連載) 2007年1月16日〜6月19日 |
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伝説のナークニー
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本紙四月十二日の夕刊にコンチュウナークニーで知られる高良輝忠さんの功績を偲ぶ記事を拝見した。去る三月三十一日に百二歳の天寿を全うしたとのこと。
昭和初期に出稼ぎで大阪へ行き、チコンキ・フクバルこと普久原朝喜氏にすすめられてナークニーなどを録音。その荒々しく何処までも響く歌声と奔放で繊細な三線の音色は聴く人に衝撃を与え、その音源は後の手本となっていった。沖縄に帰ってからは新録も舞台公演などもなかったというところに存命中でありながらも長きに渡って伝説のナークニー歌者たる所以がある。怠け者が民謡をやるといわれていた当時、本名の高良を名乗ると回りに知られてまずいので宮城としたが、もちろんその歌声はすぐに知れることとなり、沖縄に戻ってきても親に会わす顔がないということで、しばらくは那覇に住たという話を聞いたことがあるが、それも伝説にまつわる挿話のひとつであろうか。
大正時代に録音された富原盛勇氏の奏でる富原宮古根(トゥンバルナークニー)となると伝説というより幻のナークニーといえよう。現代沖縄民謡の元祖的存在の普久原朝喜氏が富原氏のレコードを聞いて歌をやる気になったというから元祖の元祖というところか。残された音源は一曲だけというが、それさえも耳にしたことがない。
かつて「コンチュウナークニー」というのを聴きたくてレコードを手に入れた。もう片面の曲名が「ハンク原」とあった。三味・唄、普久原朝喜・鉄子とある。ハンク原なる曲はどのような歌であろうかと針を落としてみると、「はんた原」〜ナークニーが流れた。素っ頓狂で遊び心があり、サウンド自体は古くさいが、耳に残る音は実に現代的。その時いろんな人のナークニーが聴きたくなった。
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2007年4月24日 琉球新報夕刊「南風」掲載より |
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