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第11回 捨てられた音源

 私もメンバーである沖縄音楽デジタル販売共同組合が主催する、インターネット沖縄三線教室のサイトがこの度「第二回日本ブロードバンドビジネス大賞~eラーニング部門・グローカル賞」を受賞した。

 沖縄からポリシーのある沖縄音楽の基本を提供しようとした試みが中央に認められたということを素直に喜びたいと思う。

 さて、今年の七月頃であったか「黄金時代の沖縄島唄1~5」のCDが店頭に並んだ。発売元が財団法人日本文化振興財団で、販売元がビクターエンターテインメントである。監修・選曲に沖縄音源の権威・藤田正。定価\2,500。一九五〇年代から七〇年代までに録音された現地重要レーベルに残る珠玉の沖縄島唄集。と銘打って、また凄いCDが出たもんだ、と、手に取ってみたら……あらら。

 確か去年の春頃ではなかったか。ディスカウントショップの廉価のインディーズやらコピーCDやらのごちゃ混ぜコーナーで、『これが島唄だ・壱 長寿と島の舞い遊び』(FGS-231)『これが島唄だ・弐 恋の島のローマンス』(FGS-232)『これが島唄だ・参 空と海と太陽と』(FGS-233)の三枚のCDを手に入れた。

 レーベルの表示もなく、ただ曲名と歌手名だけが印刷され、歌詞も解説もない。曲名と歌手を見ただけで、マルタカの音源だとすぐわかる。某プロデューサーが「ベスト・オブ・マルタカ」とか、青年時代の何とか、だとかをプロデュースした頃だ。せっかく入手した音源も、ベストから外れるとCDショップに並ぶこともなく、かくも不当に差別され、粗雑に扱われなければならないのかと嘆いたものだった。

 その壱~参が、今度は財団法人日本文化振興財団の衣(レーベル)を被り「黄金時代の沖縄1~3」監修選曲をカミングアウトしてよみがえった。せめて手を加えなければよかったのに練り直してしまった。

 やはりこの人の頭の中はそろばん勘定しかないようだ。

2005年12月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第19号より

第10回 国際通りとウチナーグチ

 宜野湾から那覇に移って二年近くなる。結構、引越魔である。三年から四年に一度はあの重たい本やレコードをうんしょうんしょとかついでいるのである。

 那覇に住んで一番気になるのはウチナーグチが通じないことである。道で枯葉を掃除しているおばちゃんにウチナーグチで語りかけてもヤマト口が返ってくるし、マチグヮーで野菜を売っているおばあちゃんに「ウヌチキナー、チャッサヤミセービーガヤー」(これいくらですか?)と、訊くと「えっ?からし菜ねぇ、これ今日高いよー」と答える。ヤンバル(本島北部)で生まれ育ったぼくには、おばあさんと見うけられる女の人がわざとじゃないヤマト口を使っているのは今もって不思議なことなのである。これが那覇に住んでいると、本気でウチナーグチを使えないおばあさんが存在するのは、僕にはウソの世界にいるようで気持ち悪いのだ。

 奇跡の一マイルといわれる国際通り。

 そこにはすべての沖縄が在る。泡盛にウチナー料理にカリユシウエア、エトセトラ。しかし、ウチナーグチが全く使えない一マイルと化しているのはどうにかしているのではないか。誰も変と思わないのだろうか。民謡クラブでさえ、ウチナーグチを使えば「何処からきたのー、ウチナーグチうまいねえ、今何と言ったの?」だ。国際通りも二世三世の世代だし、ヤマトンチュの経営者も多い。お客もほとんどが観光客だし、ウチナーグチは必要ないのかもしれない。国際通りが沖縄の先駆けならウチナーグチの通用しない奇跡は百マイルに及ぶのにはさして時間はかからないだろう。

 よく沖縄の人は他所からの品物や文化などを受け入れ、それを自分たちの都合のいいように改良して新しいものを創っていくのが得意だという。それをチャンプラリズムと称している。しかし反面、元々ある自分たちの良いものをいとも簡単に捨ててしまう悪い癖もある。今、ブームといわれる沖縄音楽や泡盛にしたって、つまるところ中央の消費資本の閉塞状況の煽りを受けての再認識である。ややもすれば滅びゆく文化になりかねなかったのである。

 ウチナーグチは今、滅びつつある。那覇ではもうほとんど滅んでいる。いつか滅びるのだろうが、まだ滅んではいけないとぼくは切に思っている。

 では保護(?)するためにはどうするか。話す以外にない。他の外国語と同じようにたとえ間違っていても使う以外にないのだ。ウチナーグチにすぐ「イヤームノーヲカサンドー」(君の言葉おかしいぞ!)と言って、相手をたしなめる癖がある。こう言われると二度と使わなくなってしまう。相手をシュンとさせるのではなく「カンシイイセーマシドー」(こう言った方がいいよ)のさりげないアドバイスでかなり変わるのではないかと思う。どうでしょう?「島唄の中にしかウチナーグチは残らない」とはまだ今は言いたくない。

2005年10月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第17号より