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第12回 島唄カフェ

誰誰の何々の曲が聴きたい、とか、嘉手苅林昌の下千鳥をすべて聴きたい、とか、徳原清文が新聞に書いてあったナークニーが聴きたい。とか、古い音源のリクエストは様々だ。ゴソゴソとレコードを探し出し、針を落とす。至福とまでは言わないが、愉快な瞬間だ。

私はレコードの音が好きだ。デジタルサウンドで育った二十代、三十代の若者たちには無縁なものかもしれないが、カドの取れた暖かみがレコードにはある。 ひと口にレコードといってもSP盤(七八回転)とEP盤(四五回転)、それにLP盤(三三回転)とある。SPレコードは蓄音機を用いて再生するもので、今 では骨董品屋でしか見かけられない(私の店にある)が、その音の懐かしさと艶かしさはゾクッとするものがある。ゾクッとしてみたい方はどうぞいらして下さ い。

EPレコードがSP盤に取って代わったのは、一九六十年ごろである。沖縄に於いてもその頃から琉球民謡のレコードがどんどん量産されていった。夜の街で はジュークボックスから演歌やポップスとならんで民謡が流れた。七十年代、日本復帰から海洋博にかけて沖縄の中で沖縄音楽ブームが起こった。「ちんぬく じゅーしー」や「うんじゅが情どぅ頼まりる」などのヒット曲の時代となっていく。一万枚売れれば本土でのミリオンセラーに匹敵するといえた。レーベル(レ コード会社)も二十を超え、一地域では考えられないほどのレコードがプレスされていった。シングルレコード(EP)は二千アイテムにも及び、LPや全集も のなどを加えたらどれほどの量になるのか見当がつかない。今にして思えば、よくもこれほどの情熱を残せたものだと感心させられる。いや、今でもその情熱は 続いている。

2007年6月19日 琉球新報夕刊「南風」掲載より