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第3回 君知るや 小浜守栄

 小浜守栄という歌者(ウタサー=歌手)をご存知でしょうか。今回、沖縄芸能人プロフィールでもとり上げたのですが、ぜひ覚えていてもらいたいのです。戦後沖縄民謡黄金期を築いた最大の貢献者の一人です。彼の情熱と行動がなかれば今日の島うた=民謡の興隆はなかったと言っても過言ではないでしょう。

 小浜守栄は研究者としてはリーダー的存在でありましたが、表現者としては大いなるサポーターでありました。従って彼の独唱というのは嘉手苅林昌や喜納昌永など、、他の活躍した島うたの巨人等に比べてとっても少ない。数多いレコーディングもほとんどが合唱であり、本人は伴奏も歌もサポート役にまわっているのです。

 私は彼のひょうきんな「アキトーナー」と「月と涙」の絶唱が大好きです。

 うぬちゃ年取たみヨ
 元びれぬ小ぬ
 ウサ小やアキトーナー
 (ありゃりゃ、昔の恋人のウサ小はこんなに年とっちゃって…)

 その歌声を今ではあまり聴くことができないのはなんだか残念です。

 十九歳の時、海軍省の募集に応じ、農業人夫として南洋諸島に赴きます。太平洋戦争が勃発して、現地にて召集されて中国大陸に渡ったのが二十二歳の時。行軍に継ぐ行軍。筆舌に尽くせない苦難が待っていました。

「生きていたのが珍しくもあれば、死んでいった戦友が羨ましくもあった。うぬあたいあわりやったさー」

 マレーシアにてイギリス軍の捕虜になり、半年間の強制労働の後、命からがら復員。神奈川県逗子の沖縄県人用の沼間寮にて嘉手苅林昌と再会するも、玉砕した故郷が気がかりで一足先に沖縄を目指します。

 しかし、「沖縄は何も無かった」。移民、軍隊、捕虜、復員、あれ程哀れして帰ってきたのに…。

 「やがて野村流古典音楽照屋林山師範の門に入った氏は、敗戦の虚無感の中に音楽への情熱を見出し、昴まる心は庶民のうた民謡への開眼奔流のように突っ走り、歌って歌いまくった」(一九六二年、小浜守栄リサイタルのパンフレットより)

 小浜守栄は嘉手苅林昌を連れ添って沖縄本島全土を歌い回ります。性格も生き方も全く違う二人ではありましたが沖縄音楽への情熱と使命感は一致していました。異民族支配の荒々しい時代に、見失ってはならない沖縄の心を三味線の音にたくしたのです。

 いつしか二人の声は区別がつかないくらい似通っていました。やがて庶民の生活に民謡が根付くと小浜守栄は一線から退きました。今こそ小浜守栄の情熱を忘れないようにしたいものです。

2004年9月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第3号より
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第2回 音源に敬意と配慮を

沖縄音楽は今やドル箱である。インディーズ系の注目株のバンドのライブ会場には、場にそぐわない、やたらと腰の低い、ヤマトからのおっさんが片隅でニヤニヤしているのが見受けられるという。

 今回は別のテーマを考えていたが、7月中旬に店頭に並んだ、藤田正監修『島唄レアグルーヴィン』(MYCD-35011)を見るに及んで、やはり言うべきことは言わねばなるまいと思いゴーグチすることにする。こんな安易なCDをつくってもどうせウチナーンチュは何も言いやしまいと高を括っているだろうから。

  サブタイトルに「マルタカ特選エキゾチカ」と銘打たれた『島唄レアグルーヴィン』はマルタカレーベル復刻の第3弾目のCD。前の二つはというと『ベスト・オブ・マルタカ』(MYCD-35008)と『青年時代の登川誠仁』(MYCD-35007)。さあこの3枚のCDを目の前に並べてみて、あまりにも安易であまりものセンスの無さにウチナーンチュをおちょくるのもいい加減にしてもらいたいと思うのは私だけでしょうか。

 確かにマルタカの音源が復刻され、幅広い人達に聴かれることは非常に素晴しいことだと思う。沖縄庶民文化の情熱の証しであり、沖縄の宝である、埋もれている名曲、レア盤を蘇らせることは実に意義深いことだ。しかし、それは時代考証に敬意をはらってはじめて意味を持つことで、そしてそれは次の時代へつながらなくてはならない。中央からやって来て、音源を入手しました、どうぞ消費して下さい。これじゃいくら何でも悲しすぎますよ。

 『ベスト・オブ・マルタカ』の解説に「戦後沖縄音楽の第一期黄金時代が、いかに素晴しかったに焦点を当てたアルバムである」とある。で、CDはというと、アキサミヨー、ジャケットも無い、安っぽい薄っぺらなケース。どうせ手に負えないのなら、せめてジャケットとケースくらい立派なものにしてほしかったものだ。沖縄音楽の諸先輩方に申し訳ないと、私の方が恐縮してしまう。

 マルフクと並んで二大レーベルであった、マルタカの音源からベスト・オブ~というアルバムをつくるからには沖縄音楽ファンをうならせる、それなりの選考基準が有り、それ以上に選考に漏れた名曲に対するフォローがあって然るべきと、当然考えるが解説にはそういうのは一切ない。そこにあるのは「ハイ、私が発掘しました、どうです」という態度。紙面が尽きた。もう少し、音源への敬意と配慮があってもいいのではないか、藤田さん。

2004年8月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第2号より
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