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第4回 フリージャズ

 しまった!寝坊してしまった。一時間でこの原稿を書き上げてげて熊本行きの飛行機に乗らなくてはならない。

 そもそもどうして寝坊したかと言うと、昨日(二十三日)島唄カフェ・いーやーぐゎーにての梅津和時ソロライブが盛り上がったからにほかならない。ついつい明日の事も考えずにはしゃぎ過ぎたということか。

 何故島唄カフェがフリージャズのライブなのか、苦言というよりも希望として私は沖縄の歌手、とりわけ若手の島歌の歌い手に聴いてもらいたいと実際は考えている。ここ一年、津軽三味線や風の盆(富山県)の胡弓、舞踏などと企画してきたが、ウタサー達の顔が見られないのは何だか残念である。今沖縄音楽に必要なのは中央(東京)の要求だけに目を向けることではなく、色々なジャンルの芸能を肌で感じて消化吸収していくことも大事なことではないか。沖縄にやってくるアーティストは沖縄のエネルギーを吸収しようと真剣勝負を挑んでくるのに対して、沖縄側からの反応はどうも緩いような気がしてならない。反対に奪い取るくらいの気構えがあってもいいと思うが…。

 それでも島唄カフェでのライブにさすがの梅津氏も最初は戸惑い気味ではあったが、やはり沖縄との関わりも深いサックスの音色はすぐさま一体となった。というよりもどんどん観客を引きずりこんで行く。沖縄音楽を意識してのフリージャズは予期せぬ不協和音を生み出し、それは嬌めかしくもあり、伝わる息づかいは聴くものを鼓舞して止まない。音楽の一つの醍醐味としての、マイクを一切通過しない生の音色(楽器も歌声も)のすばらしさを再認識させられずにはいられなかった夜でした。

2007年2月27日 琉球新報夕刊「南風」掲載より

第3回 歌碑巡り

 例えば三線の習得において、島唄や古典音楽のその歌(琉歌)の意味を確かめ理会(理解)することが大切であるということは言うまでもない。ましてやその歌の発祥地や、関係する土地へ出かけ、そこの景色に触れ、空気を感じることができれるとすればまさしく深い意味で“理”に出会えるというもの。

 というわけで年に一度の遠足「小浜司と行く歌碑巡りツアー」が今年も企画され、総勢五十人で大型バスに乗り込んだのは、去る二月四日。今回で四度目ということで、一行はヤンバルを目指した。名護から国頭へと南北東西を桜舞い散るなか(残念ながら舞ってなかったが)歌碑を求めて走り、歌碑の前にて呼吸し、三線鳴らし歌い、シャッターを切った。主な歌碑はというと、白い煙と黒い煙の碑、名護浦の深さ…の碑、大兼久節、奥間の国頭サバクイ、与那節、辺野喜節、謝敷節、安波節など。

 初っ端から名護城の階段を登らせてとのブーイングをよそに、七分咲きの桜は我々を「白い煙と黒い煙」の碑へと導いた。この記念碑は戦前、沖縄師範学校教諭として赴任して九年間教鞭をとった、稲垣国三郎(一八八六~一九六七)が本土へ戻り沖縄を回顧して著した随筆集「琉球小話」(一九三六刊)の一節、白い煙と黒い煙に由来している。当時、二万もの沖縄の若者が紡績の女工などの仕事を求めて本土へと流れた。那覇まで見送りにいけない家族のものが、小高い丘の上から燃えにくい松の葉を燃やした白い煙で海の上を走る船から立ち上る黒い煙へ、自分の身内へ、と合図を送る。その光景に感動した稲垣はエッセーをしたため、全国の教科書に載った。後の名曲「別れの煙」(知名定繁作詞作曲)の誕生の伏線もそこらへんに、ありゃ、紙数が尽きた。

2007年2月13日 琉球新報夕刊「南風」掲載より