♪枯葉みたいな我がさだめ 何の楽しみ無いものを
好きなあなたがあればこそ いやなこの世も好きとなる
―ギブソン・レコード『十九の春(与論小唄)』 歌・五条雅子―
「与論小唄」の元になった「与論ラッパ節」というのがあり、与論島で戦前の流行り歌だ。
九州の炭坑出稼ぎ帰りの島人(シマンチュ)が流行らせたという。
「与論小唄」の歌詞の四番:
♪磯の浜辺の波静か 二人手に手を取りかわす
死んだらあなたの妻ですと 女心の悲しさよ
ところで、津波恒徳歌う「与論ラッパ節」の最後の歌詞ではこうである。 ♪磯の浜辺は波静か 二人手を取り幸せに
死んでもあなたの妻ですと あわれ十九の縁結び
―あばさーレコード『与論ラッパ節』-
津波恒徳(現琉球民謡保存会会長)は、昭和35年ごろ与論を経由して奄美の島々を旅した。
そのとき「与論ラッパ節」と出会った。
沖縄のナークニーのように、次から次へと即興で歌詞が涌き出てくるのに驚いた。
さっそく採集し、沖縄へ持ち帰った。
復帰の少し前頃、民謡クラブ『うみないび』で津波恒徳は民謡ショーをしていた。
その頃一緒にショーをしていた本竹裕助が、採集していた歌詞を2人で直し直し歌っていた。
「吉原小唄」とか「ジュリグヮー小唄」などと言われていた歌をレコードにするにあたり、そのようなタイトルではダメだということでディレクターをしていた。
キャンパス・レコードのビセカツが、「十九の春」とタイトルにした。
デュエットしている津波洋子は、津波恒徳の娘である。
(…「十九の春」…唄:本竹裕助・津波洋子)
「ジュリグヮー小唄」なる歌は戦争中に兵隊が残した歌ということらしいのだが、「与論小唄」とクロスするようだ。
となると、その元祖はというと唖蝉坊(あぜんぼう)の「ラッパ節」ということになりそうですが、その真為は如何に。 |