店に飾ってある『琉球フェスティバル’74 (島うた/その風とリズム)』のレコードジャケットを見て、琉球フェスティバルってそんな昔からやっているの? とよく聞いてくる。
「そんな昔にもやっていたんだよ。島うたが今のように市民権を得られず、本土に受け入れられていなかったみたいだよ」
「どうしてですか」
「言葉でしょう。歌の意味がわからないから」
島唄最大のイベントと称されるいる琉球フェスティバル。
今では言葉の壁を乗り越えて、閉塞した日本音楽状況の癒しとなっている、という。
これでいいのか日本帝国!(すみません、つい竹中労氏の言葉を借りてしまいました)
というわけで、 日比谷野音の実況レコードを聴いてみよう。
まず、嘉例(カリー)付け。山里勇吉の『鷲の鳥』。
司会の照屋林助登場。
「沖縄の里々浦々を島うたをとりそろえて持って参りました…、つづいて嘉手刈林昌の赤山…」
五十代の嘉手刈林昌と十代の息子林次との競演。
知名定男が『具志川ナークニー(門たんかー)』を、大工哲弘が『与那国しょんかねー』、照屋林助『職業口説』、金城睦松『ましゅんく節』と続いていく。
絶頂期の山里勇吉の『トバラーマ 』、『六調』は絶品。
そして最後にエイサーからカチャーシーでエンディング。
よくぞこれほどのドキュメント(音源)を、あの頃に残せたものだと竹中労氏のエネルギーには、つくづく感心せずにはいられない。
一度、島唄カフェ「まるみかなー」で、琉球フェスティバル’74ののレコードを聴いてから、今年(2002年)の琉球フェスティバルを観にいくことをすすめます。
デジタルにはなっていません。 |