初期の琉球フェスティバルは、ルポライター・竹中労(1930-1991)個人の情熱とエネルギーで実現した、歌の祭典であった。
それは沖縄音楽(民謡)が初めて本格的に紹介された催しであったといってもよい。
琉球フェスティバル’74、琉球フェスティバル’75春、琉球フェスティバル’75夏、と3度に及ぶフェスティバルは、本土のみならず沖縄の歌者にも大きな影響を与えた。
当時の結果は惨憺たるものであったようだ。大きな借財と内外からの罵詈雑言の雨嵐。
しかし、「琉球共和国」「琉球幻視行」という2冊の著作と35枚のレコードが残されたことは、今からすれば本人の言う「むくわれぬことは百も承知であった」(「島うた通信-冬」より)というものでは決してなかった。
少なくとも、いいもの、最良のものを記録しようとした意思と、残されたそれらのドキュメントはとりわけ90年代に起こる島唄ブームの基本でもあり、目標にもなりえたのだから。
しかし、竹中労が思い描いていたような、願っていたような方向に現在の「島うた」が在るかどうかはまた別の問題といえよう。
それは私にとっても大きなテーマであるので、いつか取り組みたいと思っている。
ともあれ、沖縄音楽が沖縄の中で一番勢いのあった頃にヤマトの一人の天才ルポライターと島唄の巨人らがひとつの方向に向かっていったエネルギーをここでは確認できれば(もちろん音源を聴いて)それでいいのです。
最近の算盤だけをはじくドキュメントは後々に淘汰され復習されるであろう事も。
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