第5回 沖縄病と琉球フェスティバル

 沖縄病というのがある。かつてはアフリカ病というのが有名で、一度アフリカを旅すると、その虜となり、何度も足繁く通うというもの。今では外国よりも国内ということもあり、普通の人が沖縄通い、シンドローム化している。直射日光と青い空、青い海。共同体と人情の世界に触れ、癒されるという。

 例えば、ビーチパーティ。ふつうの飲み屋などで知り合った人たちが浜辺でワイワイガヤガヤ。三線でもあれば隣のグループともイチャリバチョーデー(行逢りば兄弟)となる。そんなこと向こうでは考えられないと、ヤマトの友人は力説する。そこまで閉塞しているのだろうか。つい考えてしまうのだが、最近はその親切心に土足で入り込んで、ノウノウとしている患者が増えているように感じるのは気のせいでしょうか。沖縄マニアの人達はやたらいろいろな所を知っていて、やたら有名人を知っていて、面と向かってこれでもか、と沖縄を語られるとちょっと言葉を失ってしまう。なかには接待慣れし過ぎて、親切にされないとヒステリーをおこす沖縄病もいるくらいだから困ったもの。

 先月『琉球フェスティバル2004 in 大阪ドーム』を観に久々に沖縄を離れた。登川誠仁、知名定男、大工哲弘、徳原清文らの歌者達と同行で楽しい旅であった。琉フェスの内容の方も文字通り“フェスティバル”で盛り沢山。先に挙げた歌手以外には饒辺愛子、嘉手苅林次、でいご娘、ネーネーズ、kiroro、BEGIN、鳩間可奈子、新良幸人withサンデー、大島保克、夏川りみ、下地勇。奄美から貴島康男、中孝介、RIKKI、山下卓也、司会に玉城満、谷口キヨコ。他にエイサーや琉舞などが出演し、沖縄病と言わなくてもチビってしまうような六時間であった。

 田舎者の私には見るのも触るのもその規模の大きさにドゥマンガ(驚か)された。その日大阪ドームの一万五千人の観客の前で、いずれの歌手もテンションは高ぶり、一個の音楽エリアとしては最高の熱狂であったと思う。客層の方も、ウチナーンチュは三割にも満たなかったのではないか。そこにあるのはもはや沖縄解放区などではなく、とても失礼な言い方だが、巨大なサナトリウムにでもいるような気分にされた。それは悪いとは決して思わない、むしろ素晴らしいことだ。それが観光メロディとして押し流されていくか、それともさらなる熱狂へと高められて行くかは、せめて我々ウチナーンチュの手で決定付けたいものだ。

2004年11月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第5号より

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