第2回 核シェルター

 二十年前の今ごろ、私は中国大陸にいた。正確にはもう一人連れが居たような連れられていたような‥。マイナス十度の北京はせわしく、公務員たちがだだっ広い道を肩をすぼめて急ぎ足で行き交っていた。天気も吹雪いて、万里の長城へも行けず、その地を後にすることに。

北京中央駅にてさあ何処行こうかと思案していると、チケット買いませんかと声を掛けられる。「どこ?」「ハルビン」交渉成立。超格安で入手したとはいえたどり着いたは極寒の地・満州はハルピン、鼻水がみるみる凍るほど寒い。

 ハルビン駅中央口にてさあどうしようかと震えながら思案していると、宿を探してるのか、と中年の男に声を掛けられる。「安い?」「でーじ安い」交渉成立。自転車タクシーに乗せられ、氷の町を三十分余りも移動して着いたと言われたところは、一面雪の平原。騙されたか、と身構えると、実際我々を案内した中年の男はどう見ても人を騙す体格ではないし、カンフーの達人とも思えなかった。ニヤニヤ笑ってここだ、と言う。確かに目の前にはコンクリートのでかい柱が立っていた。

 大きな取っ手を引き寄せると幅三十センチ以上もあるドアが開かれた。急なラセン階段をおどおどと降りたのは何も寒かったばかりではなかった。この施設が核シェルターであることは一目で理解できる。どうやらその一部を庶民の宿として利用しているようだ。その男がフロントに一通りの説明をして、身分証明書の提示を求められ、日本のパスポートを見た彼ら全員が驚いて叫んだ。「外国人だったのか?」どうやら少数民族と思われたらしい。外国人は決して泊まれないというが、その男の説得で何とか宿を確保することができた。

 核シェルター宿は今でも営っているのだろうか?

2007年1月30日 琉球新報夕刊「南風」掲載より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です