いきなりであった。
「フクバルチョウキ、ヒージャー原ぬントーアラカー小ぬウシッチー、カマーイサ小ぬカマダー、ブティヤマ小ぬマッチャーヤッチー、ズケヤマぬカニー、ヒータイカナグシク小ぬミッチラースーこと金城睦松。」
故嘉手苅林昌に影響を与えた地方の名人歌者(ウタサー)達である。
「カデカル(林昌)だって一人だけで歌者になったわけではなく、地方の名人たちの影響を受けて一代をなしているのだよ」照屋林助さんは、ほとんど初対面の私にこう話しかけてくれた。噂に違わぬ凄い人物だとホトホト感心した。それから何度か一緒に仕事をさせていただき、ちょくちょく仲の町で一緒にお酒のお供をしたりした。簡単なことは言えないぞ、と、言葉を選んでしゃべったつもりが、「簡単にもの言うなよ」とよくたしなめられたものだった。それでも人の話を聞いてくれるので沖縄芸能についての自分の考えをぶつけては押し返され、本当に楽しくムンナレー(物習)させていただきました。
思い起こせば、初めて林助芸を目の当たりにしたときも衝撃的だった。正確な年代は覚えていませんが、学生の頃だった。沖縄ジアンジアンで、「照屋林助独演会(確かそんなタイトル)」というのがあって、いそいそと出かけていった。あれほど有名であれほどの芸人だというのに、客もまばらで、沖縄は困ったものだ。と、確か考えた。開演時間が過ぎても一向に始まりそうにない。照屋林助困ったものだ、と、思い始めた頃、ノソーッとステージにやってきて、ゆっくりとテルリン芸を始めていきます。 困ったもので、目と耳は釘付けにされました。三線鑑定や一本線トバラーマなど、目から鱗状態。極めつけは、全く意味不明な音声と三線を奏でて録音して、それを逆から流すと「安里屋ゆんた」になっている。沖縄芸能の遊び心の奥深さをまざまざと思い知らされた衝撃は忘れようにも忘れきれない。
沖縄は本当に困ったものだ、と、考えた。