第1回 三板名人

 三板は三線とならんで今や県産楽器の代表の一つとなっている。毎年三月八日には「サンバの日」と称して日本三板協会(杉本信夫会長)主催でイベントも行われている。手軽で何処でもどんな音楽にも対応できるリズム楽器=三板。沖縄オリジナルの素材としてもっともっと大切にされて普及していってもおかしくない。

♪セイ小三線に 山内歌乗して 太鼓嘉手苅に 三板昌永 ―宮古根―

と、かつて歌われ、登川誠仁の三線に、山内昌徳が歌い、嘉手苅林昌が太鼓たたき喜納昌永の三板、これぞ当代の最高の耳薬!と絶賛した。これを今日日の演奏者に当てはめるとなると色々と意見があり、問題も生ずると思うが、三板の名手は誰でしょうかという質問に私は田場盛信その人だと躊躇なくいうことができる。田場盛信といえば72年金城恵子とのデュエット曲「ハワイ便り」でレコードデビュー。75年の「島の女(ひと)」をヒットさせ、いわゆる新民謡の騎手として民謡界の牽引者となった。持ち前の人当たりの良さから主婦層の人気を独り占めしたことは伝説ではなく、恐るべし、今でも続いているのである。三板に関しては師匠の登川誠仁からその技法のすべて習得し、認定証もいただいている。

 日本三板協会の理事長の役職も担い、三板普及にも人一倍熱心である。氏の刻む三板のリズムは正確で乱れることなく、一音一音にしまりがあり、聞く人の耳に実に心地良く共鳴する。三枚の板切れが三味の音色に伴って雲雀はさえずり、身体は勝手に跳躍し自然の中へと誘われる。極められた芸というのは何時聴いてもいいものである。さて、我がいーやーぐゎーでも月一で三板実践教室&ライブを行っているのですが、今年の一番手は田場盛信です。

2007年1月30日 琉球新報夕刊「南風」掲載より

第11回 捨てられた音源

 私もメンバーである沖縄音楽デジタル販売共同組合が主催する、インターネット沖縄三線教室のサイトがこの度「第二回日本ブロードバンドビジネス大賞~eラーニング部門・グローカル賞」を受賞した。

 沖縄からポリシーのある沖縄音楽の基本を提供しようとした試みが中央に認められたということを素直に喜びたいと思う。

 さて、今年の七月頃であったか「黄金時代の沖縄島唄1~5」のCDが店頭に並んだ。発売元が財団法人日本文化振興財団で、販売元がビクターエンターテインメントである。監修・選曲に沖縄音源の権威・藤田正。定価\2,500。一九五〇年代から七〇年代までに録音された現地重要レーベルに残る珠玉の沖縄島唄集。と銘打って、また凄いCDが出たもんだ、と、手に取ってみたら……あらら。

 確か去年の春頃ではなかったか。ディスカウントショップの廉価のインディーズやらコピーCDやらのごちゃ混ぜコーナーで、『これが島唄だ・壱 長寿と島の舞い遊び』(FGS-231)『これが島唄だ・弐 恋の島のローマンス』(FGS-232)『これが島唄だ・参 空と海と太陽と』(FGS-233)の三枚のCDを手に入れた。

 レーベルの表示もなく、ただ曲名と歌手名だけが印刷され、歌詞も解説もない。曲名と歌手を見ただけで、マルタカの音源だとすぐわかる。某プロデューサーが「ベスト・オブ・マルタカ」とか、青年時代の何とか、だとかをプロデュースした頃だ。せっかく入手した音源も、ベストから外れるとCDショップに並ぶこともなく、かくも不当に差別され、粗雑に扱われなければならないのかと嘆いたものだった。

 その壱~参が、今度は財団法人日本文化振興財団の衣(レーベル)を被り「黄金時代の沖縄1~3」監修選曲をカミングアウトしてよみがえった。せめて手を加えなければよかったのに練り直してしまった。

 やはりこの人の頭の中はそろばん勘定しかないようだ。

2005年12月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第19号より