第8回 「大罪!名誉のための出版」

 評論家で音楽プロデューサーの藤田正監修なるCDと一冊の本が出版された。CD『おきなわのうた~ROKレコード名作集~』(MYCD-35015)と『沖縄ミュージックがわかる本』(洋泉社MOOK)がそれだ。先ず後者であるが、空港のお土産品店のような本を手にして、またか、というのが感想。別に空港のお土産品店が悪いと言っているのではない。彼のように日頃からクサムヌイー(あえて訳しません)を言っていて、裏では権力的に振る舞っている(あえて書きません)人の志操の低い作品に、ダメなものにはダメだ、というべきであると考えるからである。

 「ロックや黒人音楽から沖縄音楽に入ったものとしては、歌の基本は『直球』であるとおもっている。」(沖縄タイムス「唐獅子」二〇〇二年二月二十日より)

 沖縄に関する彼の作品(CDや著作)で直球で勝負しているのが果たして在るというのか。例えば、故照屋林助の『平成のワタブーショー』(OMCA-1005)など、本当に質の高い林助音楽を創り上げたいという気持ちがあったのだろうか。彼は、照屋林助という人は沖縄にとって大変な「財産だ」と語っている(同上四月十七日)が、私にはただ中央とのパイプを利用しての美味しいところ取りのCDにしか写らない。まさに直球どころか録音したものをただ並べただけ。せめてBC通りのお土産品店くらいCDには仕上げて欲しかった。

 登川誠仁に関して「そのコク、味わい、技量…欧米で名をなす歴史的シンガーと一歩もゆずることがない」(同上)と書いているが、『スピリチュアル・ユニティー』(RES-45)は一歩もゆずらない代表作(そう言っている)だろうか。プロデューサーとして自分の力が微力でこんな質の低い作品になりました。と、このような本を出版する前に反省の言葉が一度はあってしかるべきだと思うのだがどうだろうか。そして次に彼の言うずっしりとする直球で勝負して欲しい。

 CD『おきなわのうた』はラジオ沖縄四十五周年を記念してまとめられた作品とあるが、そもそも元々ある音源を焼き直しを、これまで関わってきたラジオ沖縄の先輩方(指導もうけたろうに)差し置いて自らを監修者として名乗るような貧困な発想は沖縄にはないのです。少々礼節を欠いてでも全国の沖縄音楽ファンに、貴重な音源を提供したいという高邁な精神を、もし音楽プロデューサーの藤田正が持ち合わせているのなら、『琉球民謡大全集』(DTL101~108)の完全復刻盤ボックスセットにでもできただろうに。そうでなかったら、せめて全曲目リストと歌手くらいは資料として提供して、批評を乞うことはできたろうにと思う。沖縄芸能の先輩達の情熱の証であることへの敬意を払って欲しいものだと切に思う。マルタカ音源の編集にしても、そこにある態度は、私が発掘しました、私が選びました。これは上級編です、これは私の監修です。解説にしても、いつも美味しいもの取りばかり。自らの手柄(名誉)を強調するために貴重な音源を安易に利用している営為だと思われてもしかたない。

2005年6月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第13号より

第7回 よなは徹へ期待と危惧

 よなは徹はかっこいい。オリオンビールのコマーシャルで流れる「北風」。新たなるウチナー三絃の可能性を秘めた意欲的な曲だ。話が古いかもしれないが、かつての高中正義や渡辺香津美のギターがテレビのCMで流れた時のショックを彷彿させられるし、ウチナーで言うと喜納昌吉の「レッドおじさん」が流れたときを思い出さずにはいられない。

 二〇〇四年十二月にリリースされた『カチャーシー・ア・ゴーゴー』なども中々良い出来だと思う。自分のふるさと、北谷町のエイサー仲間を引き連れての我がまま(?)録音はプロデューサー・よなは徹の真価が発揮され始めたアルバムと言えよう。しかし、よなは徹よ、気を緩めてはなりませんぞ。私は危惧するのだ。七十年代後半、かつて(沖縄内で)沖縄音楽ブームの翳りが見えかけたころ、喜納昌吉、知名定男、そしてコンディショングリーンと、二の腕に力瘤を固めて本土逆上陸を試みた。我々地元の熱烈なファンは彼らの才能と実力に期待を注いでいた。しかし、その扱われ方にはある種の怒りさえ感ぜずにはいられなかったものだ。沖縄音楽の特異性や地域性はほとんど伝わらなかったに等しかった。それでもその存在とエネルギーを問うことができたことは大きい。

 あれから三十年。時代は変わったと言うかもしれない。確かに九十年代のワールド・ミュージックに便乗して沖縄音楽ブームが起こり、ネーネーズ、りんけんバンドそしてビギン、夏川りみなどが登場一個の音楽エリアとしてのその扱われ方には格段の変化をみせたかもしれない。

 しかしそれはただ単に中央が閉塞しているということでしかない。状況は大して変わっていないのだ。沖縄国際大学の構内に米軍のヘリコプターが落ちても騒がず、ナベツネ退団のニュースをトップに流す国なのである。音楽状況に至っても、未だどこぞの国の焼き直しの代用としてしか考えられないのが現状だ。中央は音楽も政治も救えない程閉塞している。だから、よなは徹よ、気を緩めてはなりませんぞ。もっと自由にもっと大胆にもっとかっこよく……。自分の今までやってきたことを音にして、これからやりたいことを中央に対して我がままに通していってもらいたい。さらなる熱狂の火をけさないために。

2004年2月1日 沖縄藝能新聞『ばん』第9号より