先日『沖縄ディスクガイド』の見本が届いた。私も執筆者の一人ですが、まあそのことは棚に上げて、楽しく読まさせて頂いた一人です。沖縄の主なアーティストのガイドとCD300枚の解説。各執筆者が肩の力を抜いて、やさしく、楽しく読ませてくれます。敬称を略させて頂きますが、ただ森田純一の文章だけはいただけませんね。回りに対する配慮がまるで無く、それどころかあまりに軽んじている文章には不快感を感せずにはいられません。
この文章を読んでいる皆さんもこの本を買って呼んで頂きたい。では、森田純一の文章で気がついたことを少し…。一番ページの浅い、大城美佐子の章を見ていただきたい。森田はある闘牛大会のエピソードから大城美佐子を論じようと試みます。闘牛の一試合に5万円という大金を寄付したのに驚いたのか彼はその試合を彼女が買い取ったと大袈裟に書いてあります。もちろん大城美佐子本人には5万円という額の寄付をするそれなりの理由があったのですが、そんなことは知るよしも無く、ただ大枚をはたいたというそのことをもって、森田は大城美佐子のより深い性格を知って、誰かのの言葉を借りて「無頼」と断じています。どの程度の関わりであれば簡単に言い切ってしまうのかよくわかりませんが、あまりに無配慮というしかありません。それどころか沖縄の闘牛自体をも軽んじている。彼は沖縄の歌者たちと深い交流があると自慢したいためにこのような逸話をもってきたと思いますが、余りに軽薄としか言いようががない。本人や周りの人にも読んでもらいたいと思っているのでしょうか、彼は。
周りの人達の言ったことや書いたことを何のウラもとらずに、無批判にそして何ら配慮することなしに知ったかぶりしてかきなぐる。この本の知名定男やネーネーズの章でも、本人や周りの人達に対して何ら思いやりというのが感じられません。自分で確かめようとか、検証しようとかせずに、知っていること、聞いたこと、読んだことをただただ書いているだけ。奄美の章となるともっとひどいです。これ以上書くとバカバカしいので止めますが、人の家に土足で上がってきて、美味しいところだけをつまみ喰いする人が最近よく目につきます。
沖縄音楽ディスクガイド 『沖縄音楽ディスクガイド』
TOKYO FM 出版
VOL.7 さらに琉球フェスティバル’75
初期の琉球フェスティバルは、ルポライター・竹中労(1930-1991)個人の情熱とエネルギーで実現した、歌の祭典であった。
それは沖縄音楽(民謡)が初めて本格的に紹介された催しであったといってもよい。
琉球フェスティバル’74、琉球フェスティバル’75春、琉球フェスティバル’75夏、と3度に及ぶフェスティバルは、本土のみならず沖縄の歌者にも大きな影響を与えた。
当時の結果は惨憺たるものであったようだ。大きな借財と内外からの罵詈雑言の雨嵐。
しかし、「琉球共和国」「琉球幻視行」という2冊の著作と35枚のレコードが残されたことは、今からすれば本人の言う「むくわれぬことは百も承知であった」(「島うた通信-冬」より)というものでは決してなかった。
少なくとも、いいもの、最良のものを記録しようとした意思と、残されたそれらのドキュメントはとりわけ90年代に起こる島唄ブームの基本でもあり、目標にもなりえたのだから。
しかし、竹中労が思い描いていたような、願っていたような方向に現在の「島うた」が在るかどうかはまた別の問題といえよう。
それは私にとっても大きなテーマであるので、いつか取り組みたいと思っている。
ともあれ、沖縄音楽が沖縄の中で一番勢いのあった頃にヤマトの一人の天才ルポライターと島唄の巨人らがひとつの方向に向かっていったエネルギーをここでは確認できれば(もちろん音源を聴いて)それでいいのです。
最近の算盤だけをはじくドキュメントは後々に淘汰され復習されるであろう事も。
『琉球フェスティバル』といえばこのレコード→
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