店に飾ってある『琉球フェスティバル’74 (島うた/その風とリズム)』のレコードジャケットを見て、琉球フェスティバルってそんな昔からやっているの? とよく聞いてくる。 「そんな昔にもやっていたんだよ。島うたが今のように市民権を得られず、本土に受け入れられていなかったみたいだよ」 「どうしてですか」 「言葉でしょう。歌の意味がわからないから」 島唄最大のイベントと称されるいる琉球フェスティバル。 今では言葉の壁を乗り越えて、閉塞した日本音楽状況の癒しとなっている、という。 これでいいのか日本帝国!(すみません、つい竹中労氏の言葉を借りてしまいました) というわけで、 日比谷野音の実況レコードを聴いてみよう。 まず、嘉例(カリー)付け。山里勇吉の『鷲の鳥』。 |
Vol.5「十九の春」、歴史的に考察する。
♪枯葉みたいな我がさだめ 何の楽しみ無いものを 好きなあなたがあればこそ いやなこの世も好きとなる ―ギブソン・レコード『十九の春(与論小唄)』 歌・五条雅子― 「与論小唄」の元になった「与論ラッパ節」というのがあり、与論島で戦前の流行り歌だ。 「与論小唄」の歌詞の四番: ところで、津波恒徳歌う「与論ラッパ節」の最後の歌詞ではこうである。 ♪磯の浜辺は波静か 二人手を取り幸せに 津波恒徳(現琉球民謡保存会会長)は、昭和35年ごろ与論を経由して奄美の島々を旅した。 |
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『十九の春(与論小唄)』 歌・五条雅子:ギブソン・レコード GP777
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